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東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)154号 判決

原告

ヘミツシエ・ウエルケ・ヒユールス・アクチエンゲゼルシヤフト

被告

特許庁長官

右当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

特許庁が昭和51年審判第2040号事件について昭和53年4月5日にした審決を取消す。

許訟費用は、被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和42年特許願第68380号(1966年10月28日ドイツ連邦共和国においてした特許出願に基づく優先権を主張して昭和42年10月25日特許出願)を原出願とし、特許法第44条第1項の規定に基づいて、昭和48年4月12日右原出願の一部を分割して特許出願をした(発明の名称「ボリオレフインから成る難燃性成形部品を製造するための熱可塑性混合物」、以下この発明を「本願発明」という。)ところ、昭和50年12月10日拒絶査定を受けたので、昭和51年3月8日これに対する審判を請求し、特許庁昭和51年審判第2040号事件として審理されたが、昭和53年4月5日右審判の請求は成り立たない旨の審決があり、その審決の謄本は同年5月17日原告に送達された(なお、出訴期間として3か月が附加された。)。

2  本願発明の要旨

ポリオレフインに対して

(a)  一般式

(式中、Rは直鎖状脂肪族残基又は分岐状脂肪族残基を、R1及びR1'は臭素含有アルキル残基を意味し、m及びm'は1ないし4の整数を意味する。)で表わされる2ないし5未満の重量%の臭素化有機化合物及び

(b)  三酸化アンチモン、2重量%ないし9重量%とを含有することを特徴とする、上記(a)臭素化有機化合物と(b)三酸化アンチモンとの混合物とポリオレフインとよりなる難燃性成形部品製造用熱可塑性樹脂材料。

3  本件審決の理由の要点

本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

これに対し、本願発明の優先権主張日前に特許出願された特願昭41―20848号の発明(昭和41年4月2日出願、特公昭45―9465号。以下、「先願発明」という。)の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。

「ポリオレフインに対し、5重量%ないし25重量%の下記の一般式を有するエーテル化四臭化ビスフエノールA(以下、(A)化合物という。)

(式中R1及びR2は同種又は異種の炭素数2ない20のアルキル基、シクロアルキル基、アラルキル基あるいはアリル基を表し、該炭素結合中にはハロゲン原子等を含む場合も包含する)を含むことを特徴とする難燃性ポリオレフイン混合物。」

本願発明は、特定量の上記(a)及び(b)の化合物(以下、それぞれ「(a)化合物」及び「(b)化合物」という。)を組み合わせてポリオレフインの難燃性を改善するものであるが、量の特定に関して、原出願の願書に添付の明細書をみると、(a)化合物に相当する化合物((a)化合物以外の化合物も含まれている。)は「2wt%ないし20wt%」、(b)化合物は「2wt%ないし9wt%」ポリオレフインに含まれる記載になつている。また、その実施例2及び3(本願発明の明細書中の実施例1及び2に該当すると解される。)においては、(a)化合物が8重量部及び5重量部(この重量部はポリオレフイン100重量部に対するものであるから、wt%に換算すると、それぞれ7.0wt%(8/(100+8+5))及び4.6wt%(5/(100+5+4))になる)、(b)化合物が4.4wt%及び3.7wt%それぞれ用いられており、両方の試料のいずれもにおいて同等の不燃化の作用が奏せられることが示されている。したがつて、本願発明では特許請求の範囲に(a)化合物の使用量を5wt%未満とすることが特定されてはいるが、別段5wt%を境にして効果が変つているわけではなく、換言すれば5wt%の臨界的な意味が存していないと認められる。

これに対して、先願発明は、(a)化合物と同一の(A)化合物((a)化合物と(A)化合物が同一であることは、それぞれに記載されている一般式から明らかである。)を5wt%ないし25wt%ポリオレフインに配合することが要件となつている。しかるに、先願発明の特許公報中の先行技術に関する記載などから判断すると、上記「5wt%ないし25wt%」の特定量はさほどの厳密な要件となつておらず、むしろ、先願発明の特許公報第2欄23行目ないし28行目の記載からみると、先願発明は、(b)化合物の三酸化アンチモンと(A)化合物を併用することが本質的要件であると解される。

そこで、(a)化合物及び(b)化合物を特定量併用する本願発明と(a)化合物の外に(b)化合物をも用いる要件を包含する先願発明を対比すると、(a)化合物の使用量が5wt%を境に上下するだけで他の要件は一致していると認められる。しかるに(a)化合物の使用量は上記したように5wt%の臨界的意味を有していないのであるから、両者は実質的には一致するものと認められる。

したがつて、本願発明は、先願発明と同一発明であるから、特許法第39条第1項の規定により特許を受けることができない。

4  本件審決の取消事由

先願発明の特許請求の範囲の記載が審決認定のとおりであること、本願発明の(a)化合物と先願発明の(A)化合物が同一であることは争わないが、本件審決には、次のとおり、これを違法として取消すべき事由がある。

1 審決は、先願発明の構成要件に関する認定判断を誤つたものである。すなわち、

(1)  審決が先願発明について、(A)化合物の「5wt%ないし25wt%」の特定量はさほど厳密な要件となつていないとしたのは誤りである。

先願発明の明細書の「発明の詳細な説明」には、三酸化アンチモンを共用する時には(A)化合物の使用量を減ずることができる旨記載されている(甲第2号証第1頁第2欄23行目ないし28行目)が、(A)化合物減量の限界は、ここに例示されているところから(同25行目ないし28行目)、5重量%ないし10重量%までであると解すべきであり(実施例3及び4はいずれも10重量%を記載している)、三酸化アンチモンの増量によつても(A)化合物を5重量%以下に減量できる可能性はなんら示唆されていない。(A)化合物を5重量%以下に減量できる可能性が示唆されていないということは、先願発明の出願時の技術水準においては、(A)化合物の5重量%以下の減量が決して目明な技術的事項ではなかつたことを物語るものである。

なお、先願発明の明細書中の実施例7は、本願発明の優先権主張日である昭和41年10月28日より後である昭和42年3月20日付の手続補正書に添付の明細書をもつて、先願発明の明細書に挿入された事項である。しかして、右実施例7の表中で(A)化合物の配合割合が4重量部及び3重量部の場合は、先願発明の特許請求の範囲の数値を明らかに逸脱したものであるから、先願発明の実施態様ではない。

(2)  審決が先願発明について、「(b)化合物の三酸化アンチモンと(A)化合物を併用することが本質的要件である」としたのは誤りである。

先願発明の「特許請求の範囲」には、(A)化合物の特定量が明記されているので、(b)化合物である三酸化アンチモンの併用についてはなんら記載されていない。「特許請求の範囲」には発明の構成に不可欠の事項のみが記載されなければならない(特許法第36条第5項)以上、「特許請求の範囲」に記載のない三酸化アンチモンの併用は、先願発明の本質的要件ではないというべきである。しかも、先願発明の明細書の「発明の詳細な説明」中の実施例1及び2においては、三酸化アンチモンを併用していないが、このことは右の裏付けとなるものである。

2 審決が、本願発明について、「(a)化合物の使用量を5wt%未満とすることに臨界的な意味がない」としたのは誤りである。

本願発明が(a)化合物の使用量を5重量%未満としたことは、効果上それが臨界的な数値であることを示したものにほかならず、このことは次の点から明らかである。

(イ) 本願発明の明細書(甲第4号証の2)第10頁には、(a)化合物の使用量を5重量%未満とした例1及び例2が実施例として例示され、いずれも難燃効果を奏するものであるが記載されている。

(ロ) 先願発明の明細書の実施例7(前記のとおり、右実施例7の表中で(a)化合物の配合割合が4重量部及び3重量部のものは、先願発明の特許請求の範囲に含まれないものであり、先願発明の内容をなすものではない。)には、(a)化合物及び(b)化合物の配合割合が、(a)化合物3重量部と(b)化合物3重量部の併用の場合及び(a)化合物4重量部と(b)化合物4重量部の併用の場合に、(a)化合物が10重量部単独の場合あるいは8重量部単独の場合に匹敵する難燃効果のあることが示されている。しかも、右の難燃効果は、(a)化合物が6重量部単独の場合の難燃効果に優るものである。

第3被告の陳述

1  請求の原因1ないし3の事実は、いずれも認める。

2  同4の審決取消事由の主張は争う。審決に原告主張のような誤りはない。

1 先願発明は、ポリオレフインに(A)化合物を難燃剤として配合することに特徴があるのであり、さらに、この発明が(A)化合物を単独で使用する場合にのみ限定しているわけではなく、三酸化アンチモンを併用する場合をも包含することを意図するものであることは、その明細書、特に実施例の記載から明らかである。

この併用の場合に、(A)化合物の使用量を減ずるものであることは、先願発明の明細書中の「また三酸化アンチモンを共用する時には、エーテル化四臭化ビスフエノールAの使用量を減ずることができる」(甲第2号証第1頁第2欄23行目ないし25行目)との記載や、「また酸化アンチモンを併用する時にはエーテル化合物の添加量を減じても秀れた難燃効果を示すことが明らかになつた」(同第三頁第6欄27行目ないし30行目)との記載からも理解できるところである。

従来から、ポリオレフインに対する難燃剤は必ずしも単独で用いられているわけではなく、三酸化アンチモン等を併用することも通常行なわれていたのであるから、先願発明においても、三酸化アンチモンを併用することをも意図するのは当然のことであり、この併用の場合が含まれていることは、その明細書(甲第2号証)第1頁第2欄23行目ないし28行目に明示され、その特許請求の範囲の欄においても、ポリオレフイン(A)化合物とからなる混合物というような表現を避け、ポリオレフインに対し(A)化合物を含むことを特徴とする混合物と表現されていることから理解できるのである。

このように、先願発明は、(A)化合物の使用量についての発明ではないのであるから、通常の難燃剤の使用量をその特許請求の範囲に単に表示しただけであつて、その使用量に格別の臨界的な意義があるものではない。

この点に関し、特に先願発明の明細書に記載された実施例7を指摘する。この実施例においては、ポリオレチン92重量部、(A)化合物4重量部、三酸化アンチモン4重量部の混合物及びポリエチレン94重量部、(A)化合物3重量部、三酸化アンチモン3重量部の混合物が示され、いずれも自己消火性で秀れた難燃効果を示すことが記載されている。

2 本願発明は、(a)化合物の使用量については、出願当初の明細書において「2重量%ないし20重量%」と記載されていたものであつて、5重量%の臨界的意味については何も記載されていなかつたものであり、「2重量%ないし5重量%未満」と補正された最終の明細書にも5重量%の臨界的意味については記載がない。

すなわち、本願発明における(a)化合物の使用量は、出願当初の明細書において「2重量%ないし20重量%」としていたのを、格別の根拠もなく、拒絶査定当時に5.3重量%未満とし、その後、審判請求時に5重量%未満としたにすぎないものである。本願発明においても、先願発明と同様、(a)化合物の使用量は、従来の難燃剤の使用量を単に表示しただけのものである。

本願発明の最終の明細書においては、その実施例として例1及び例2が記載されているだけであるが、これだけでは、(a)化合物の使用量を5重量%未満とすることの臨界的意味が記載されていることにはならない。

第4証拠関係

原告は、甲第1、第2号証、第3、第4号証の各1、2、第5号証、第6号証の1、2(写)を提出し、被告は、甲号各証の成立を認めた(甲第6号証の1、2は原本の存在も認めた。)。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の審決取消事由の存否について判断する。

審決理由中、先願発明の特許請求の範囲の記載が審決認定のとおりであること、本願発明の(a)化合物と先願発明の(A)化合物が同一であることは、原告の認めて争わないところである。

(原告主張の1の点について)

前述のとおり、先願発明の「特許請求の範囲)の記載が、「ポリオレフインに対し、5重量%ないし25重量%の(A)化合物を含むことを特徴とする難燃性ポリオレフイン混合物」であることは当事者間に争いがない。ところで、明細書の特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならないものとされている(特許法第36条第5項)。すなわち、当時の技術水準からみて当然の前提事項とされるものを除き、発明の構成要件とされるべき技術事項は、すべて特許請求の範囲に記載しなければならないものであり、記載のない事項または記載の範囲外の事項を当該発明の構成要件とすることは許されないところである。そうであれば、先願発明における(A)化合物の「5重量%ないし25重量%」の量的範囲は、その臨界的意義を問うまでもなく、先願発明の不可欠の構成要件というべきものである。

審決は、先願発明について、(A)化合物の「5wt%ないし25wt%」の特定量はさほど厳密な要件となつていないとするが、先願発明の明細書(前提甲第2号証)を検討しても、これを肯認するに足りるものはない。原本の存在及び成立に争いのない甲第6号証の1、2によれば、先願発明の明細書中の実施例7は、本願発明の優先権主張日である昭和41年10月28日より後である昭和42年3月20日付の補正によつて挿入された事項であることが明らかであるが、右実施例7の表中の(A)化合物の配合割合が4重量部の例及び3重量部の例は、先願発明の特許請求の範囲の数値を明らかに逸脱したものであるから、先願発明の実施態様といえないことはいうまでもなく、前記判断を左右するものではない。

次に、先願発明における三酸化アンチモンについて検討するに、前記のとおり、先願発明の特許請求の範囲には、三酸化アンチモンの併用については記載がなく、特許法第36条第5項の規定の趣旨に照らし、三酸化アンチモンの併用が先願発明の本質的要件であるとすることは許されないところである。

先願発明の明細書の「発明の詳細な説明」中に「また三酸化アンチモンを共用するときには、(A)化合物の使用量を減ずることができる。例えば三酸化アンチモンをポリオレフインに対し3重量%ないし5重量%添加すれば(A)化合物は5重量%ないし10重量%で難燃効果が発揮される。」(甲第2号証第1頁第2欄23行目ないし28行目)などの記載があつても、先願発明が(A)化合物を含むことを特徴とする難燃性ポリオレフイン混合物に関するものであることに変りはなく、右の記載があるからといつて、三酸化アンチモンの併用が先願発明の本質的要件であるとは、到底いえない。

右のとおりである以上、審決が先願発明について、(A)化合物の「5wt%ないし25wt%」の特定量はさほど厳密な要件となつておらず、三酸化アンチモンの併用がその本質的要件であるとしたのは、誤りというべきである。

(原告主張の2の点について)

いずれも成立に争いのない甲第3号証の1、2、第4号証の1、2、第5号証によれば、本願発明は、(a)化合物の使用量について、出願当初の明細書の特許請求の範囲においては、「二重量%ないし20重量%」と記載されていた(この点は原出願の明細書においても同じ)ところ、昭和51年3月8日付手続補正書により、最終的に、「2重量%ないし5重量%未満」と補正されたものであることが明らかであり、もともと前記の「2重量%ないし20重量%」の範囲で難燃効果を奏するものであることが認められる。しかして、最終の明細書全体を検討しても、(a)化合物の使用量を「2重量%ないし5重量%未満」と限定した場合に、本願発明の目的効果上右5重量%未満という数値が格別の臨界的意義を有するものと認めるに足るものはない。

しかしながら、本願発明は、出願当初においては、(a)化合物の使用量について先願発明と重複する範囲を要件としていたが、前記のとおり、補正により、(a)化合物の使用量について先願発明と重複しない範囲に減縮されたものであるから、本願発明の要件中、(a)化合物の使用量については、もはや先願発明と同一とはいえなくなつたというべきである。すなわち、(a)化合物の使用量について、先願発明は「5重量%ないし25重量%」の範囲を要件とするものであり(前記のとおり、本願発明の(a)化合物と先願発明の(A)化合物は同一である。)、本願発明は「2重量%ないし5重量%未満」の範囲を要件とするものであつて、両者は構成要件を異にするものというべきである。

そうであれば、審決が本願発明における(a)化合物の使用量の範囲に臨界的意味がないことを理由として、本願発明が先願発明と同一であるとしたのは、結局、誤りというほかはない。

3  右の各点は、本願発明が先願発明と同一であるとして特許を受けることができないものとした審決の結論に影響を及ぼすものと認められる。

よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(石澤健 楠賢二 杉山伸顕)

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